ドリームキャスト
ドリームキャスト
【どりーむきゃすと】
- 1998年11月27日に発売された、セガの家庭用据え置きハード。時期的にはPS2やNINTENDO 64と覇権を争った。
- 結果的に勝負に敗れ、「セガ最後のハード」となってしまった。
- サターンがプレステに敗れたとき、セガ内で「もう一度ハードをやるか、やめるか」が検討された。結果、GOが
出たわけだが、「これでだめなら次はない」という、最後の賭けだった。
- 開発コードは「KATANA」。大阪弁の「勝たな(勝たなければ)」から来ている。「刀」ではない。
- あくまで標的はプレステということで、3Dに特化し設計。
- ある意味では、初めてインターネット通信を可能とした家庭用ゲーム機であり、通信は大きな宣伝要素だった。
厳密にはバンダイのピピンアットマークが先であるが、比較対象としてよいものか……。
- ソフト供給メディアは、独自規格のGD-ROM。
- 「ドリームキャスト」の命名は飯野賢治によるものとする書物もあるが、特定の命名者はなく、募集したものの
中から絞り込んでいったもの、というのが現時点での共通認識となっている。
- 本体起動ロゴは坂本龍一が作曲。
- 略称はドリキャス、DCが一般的。
- セガファンまで傷つけたと言われるなりふりかまわない自虐的宣伝が功を奏し、発売に際してセガとドリキャス
の知名度は飛躍的に向上。あとは売るだけという状況だったが、肝心な本体の供給が間に合わず、いきなり
立ち上がりで躓いてしまう。「あればあっただけ売れただろう」と言われる勢いがあっただけに、この
チャンスロスは後々まで尾を引く。ある意味ではこのとき既に、ドリキャスの負けは決まったのかもしれない。
- ↑その理由のひとつに、この立ち上がりがサードパーティの参入を踏み止まらせてしまったということがある。
ソフトの開発環境やハードの性能は、セガの開発者が「PS2よりぜんぜんいい」と言うほどであったものの、
立ち上げのイメージが悪すぎたのだろう。「旨みがない」と判断されてしまったのである。
- 結果、ソフト不足に悩まされ、PS2の前に立ちはだかることさえできず、2001年3月に製造終了となる。
- PSのソフトとの互換性を持たせたPS2に対し、サターンと互換性を持たせなかったことも敗因か。
- コントローラーを同じ形状としたPS陣と違い、サターンとドリキャスでそれが別ものになったことも指摘される。
- また、ドリキャスではDVDが見られなかったことも、DVD-VIDEOに勢いのあった当時としてはマイナスだった。
- 唯一、勝てる要素に思えたネット接続を標準装備したことも、ブロードバンド普及以前においては時代の先を
行きすぎていたのかもしれない。
- マイクロソフトのXbox開発を聞きつけた、当時の大川功セガ会長は「セガのソフト資産の提供」を手土産に、
Xboxにドリームキャストソフトの互換機能を付けてもらえないかとビル・ゲイツに直談判していた。主に
ネット環境に対する双方の考え方の違いから、この交渉は実現に漕ぎ着けられずに終わった。
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- 最終更新:2010-11-01 20:49:06