任天堂
任天堂
【にんてんどう】
- ファミコン・スーファミ・64・キューブ・Wii・DSの会社。
- ↑いや、マリオの会社でしょ。
- ↑いやいや、トランプと花札の会社でしょ。
- その昔「ラブテスター」なんていう玩具を作っていた。
- 1889年に「任天堂社長の骨牌」として創業。まずは花札の製造からスタートしている。
- 1902年、日本で初めてトランプを製造。
- 1947年、「株式会社丸福」として株式会社を設立。任天堂の直接の前身となる。1949年、山内溥が社長に就任。
当時の社長、山内積良が急逝したことによるものであるが、22才の若さで山内溥が社長となったことに対し、
ストライキが起こったりもした。
- 京都に本社を構えることから、業界関係者の間からは任天堂を訪れることを「京都参り」などと言い、ぶぶ漬けを
出されたら嫌われている証拠、などという冗談もある。
- 1951年に、「任天堂骨牌株式会社」へと社名を変更。玩具メーカーとして、カードゲームから知育玩具まで
広く手掛けていた。
- 1963年、社名を「任天堂株式会社」にする。
- 1977年、テレビゲーム15とテレビゲーム6を発売。任天堂初の家庭用ゲーム機の発売となる。奇しくもこの年、
宮本茂が入社している。
- 1980年、ゲーム&ウオッチを発売。一躍大ブームになる。
- 1983年、ファミリーコンピュータを発売。以後のゲームメーカーとしての躍進はご存知の通り。
- 2002、岩田聡が代表取締役社長に就任。山内溥は(現相談役)に。
- プラットホームホルダーとしてだけではなく、任天堂自体も良質な作品を送り出すソフトハウスとして評価が
高い。これには「天才」宮本茂の存在が大きく、彼の「面白いモノを作るための考え方」が、若い世代にも
脈々と継承されているのだろう。
- 任天堂がメインターゲットとするのは、マニアやコアユーザーというよりも、それほどゲームに関心の強くない、
いわゆるライトユーザーと呼ばれる人々である(大人、女性など)。そのため、ヘビーなユーザーからは
同社の作品は「子供向け」「ヌルゲー」などと呼ばれることも少なくない。しかし、かつてプレステが
ライト層の支持を集めて勝利したことからも、放っておいてもゲームを購入してくれるヘビーユーザーよりも
ライトユーザーを重視することは、ある意味当然なことである(それをできなかったのが、セガだった)。
- 任天堂ハード向けに開発されるソフトに対しては、任天堂によるチェックが入れられる。最もこれは任天堂に
限ったことではなく、ソニーも「ソニーチェック」を行っている。
- 特に自社作品に関しては厳しい基準とそのチェックがあると言われる。性表現や残酷描写には当然厳しく、
「前年齢が、家庭で、家族みんなで楽しめる」作品が目指されていた。それは前述のように任天堂ゲームが
「子供向け」「ヌルゲー」と言われる原因にもなっている。
- また、「任天堂ハードには毒があるものは作れない」と多くの開発会社が認識しているため、任天堂と関わりを
持たない(避ける)ところもある。
- サードパーティの作品にはわりと寛容で、ゲームキューブやWii、DS向けソフトには過激な暴力・残酷描写の
あるもの、性的表現のあるものもある。自社作品に対する基準も変化してきているようで、任天堂の自社
タイトルでありながら「斬撃のレギンレイヴ」はCEROレーティングで17才以上対象となった(過激な切断、
出血・部位破壊などの表現がある)。
- グラフィックの向上をはじめとしたゲーム機およびソフトの高性能化という点では他社性ハードに実質敗れた
経緯もあってか、岩田社長の方針により任天堂ハードはその追求をやめ、「初心者にはとっつきやすく、
熟練者には新鮮な驚きが必要である」という方向にシフトし、DSやWiiを世に出した。これにより、一度は
敗北したハード戦争のトップに再び返り咲いた。これには、他社製ハードにおけるソフトの開発費が高騰する
一方であることも大きく、任天堂プラットホームにはサードパーティが参入し易い(安く作れる)という
事情も少なからず影響している。
代表作品
- スーパーマリオシリーズ
- マリオカートシリーズ
- ゼルダシリーズ
- メトロイドシリーズ
- ドンキーコングシリーズ
- ポケモンシリーズ
- 星のカービィシリーズ
- 大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ
- どうぶつの森シリーズ
- スターフォックスシリーズ
- ファイアーエムブレムシリーズ
小見出し
本文テキスト。
- 番号つきリスト
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- 最終更新:2010-11-03 16:32:41